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星野仙一は厳しさの中にも愛がある

「星野仙一さんについて詳しく知りたい」
「星野仙一さんの監督時代のエピソードに興味がある」
「星野仙一さんの性格について知りたい」

星野仙一は中日ドラゴンズで投手として活躍し、中日、阪神、楽天で監督を務め全てのチームでリーグ優勝を果たしています。
楽天ではチーム初に加えて自身初の日本一も経験しており、記録と記憶に残る人物であったことは間違いないです。
野球をほとんど知らない人でも名前くらいは聞いたことがあると思われます。
選手時代は巨人にだけは負けないという強い気持ちを持ってプレーしていました。
王貞治や長嶋茂雄に対して、真っ向勝負する姿はまさに勝負師でした。
今の選手にあれだけ気持ちを前面に出して投球する選手はいないです。
それだけ巨人に勝ちたい思いが強かったことを意味しています。

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中日ドラゴンズのユニークなエピソード

中村武志氏は何度も殴られていたことで有名

星野仙一は監督時代の印象が強い人が多いと思われます。
若い時は鉄拳制裁をしていたので、今の時代にあの指導をしていたら大きな問題になっていたはずです。
特に中日で正捕手を務めていた中村武志氏は何度も殴られていたことで有名です。
顔が膨れ上がったり、流血したこともあり、テレビで映すわけにはいかないと殴られたことが原因で交代したことが何度かあったみたいです。
中村武志氏は何度も殴られても成長させてもらったことに感謝をしています。
それは厳しさだけでなく、愛を持って接していたことが要因として考えられます。
ただ単に鉄拳制裁をしているわけではなく、選手のためを持って行ったことですし、良いプレーをした選手に対しては自分のことのように喜んでくれるのでモチベーションが高い選手が多かったです。

選手に対して何をしなければいけないか適切な指導をしていた

選手に対して何をしなければいけないか適切な指導をしていたことも評価するべきポイントになります。
50歳まで投げ続けた山本昌氏を例にして説明します。
高卒でプロの世界に入ったのですがなかなか結果を出すことができず、野球交換留学としてメジャーリーグのドジャースでトレーニングをすることになりました。
ドジャースで出会ったアイク生原氏が山本昌の野球人生を大きく変えることになります。
外角低めのコントロールと代名詞となったスクリューボールを習得することができて、日本に帰国してからはエースとして好成績を残しています。
ドジャースに行くことを命じられていなかったら、活躍する前に引退していた可能性が高かったです。
選手のことをよく見ているからこそ、その選手に適した指導ができます。
これはプロ野球の監督だけでなく、小学校から高校野球や大学野球など全ての指導者が理解しておかなければいけないことです。

星野仙一氏から学べること

星野仙一氏から学べることは、選手と正面から向き合って、厳しい勝負の中で育てていくことが大事であることが挙げられます。
今の指導者は若い子に対して厳しいことも言えないような雰囲気があります。
体罰は当然いけないことですが、厳しさを全く無くすことが本当に正しいことなのか考えないといけません。
厳しくても正面から向き合ってくれる指導者には付いてきてくれます。
選手にしっかり向き合ってこないから信頼されていないのです。
野球人口が減少していることを危惧し様々な活動をしていたことも見逃せません。
アマチュアの野球大会をいくつも支援してきて、少年野球大会からマスターズ甲子園などの高齢者向けの大会まで多岐にわたって積極的に活動していました。
昔は男の子の多くが野球をする時代でしたが、今はサッカーやバスケットなど様々な選択肢があるため、野球をしている子供たちがかなり少なくなっています。
アマチュアにも気をかけて支援することは本当に素晴らしいです。

阪神と楽天では前監督が野村克也氏という共通点がある

2018年1月に70歳の若さで亡くなってしまい、野球界にとって大きな財産を失ってしまったことが理解できるはずです。
阪神と楽天では前監督が野村克也氏という共通点があります。
野村選手を育成し、それを上手く活用して星野氏が優勝に導くことによって結果が出たわけです。
野村克也氏は育成が上手いので、星野仙一が勝つためのメンタルを受け付けることによって優勝することができたはずです。
どちらか一方の力ではなく、どちらの力もなければ弱小チームだった阪神と楽天が優勝することはできなかったと思われます。
最近は弱いチームのまま辞任してしまう指導者が多いので、ネームバリューだけで決められていることが多い現状は改善するべきです。
チームが強くなるためには多少の厳しさは絶対に必要です。
全く怒らない指導者だと選手が友達のようになってしまい、必要な時に適切な指導ができません。
あれだけ鉄拳制裁を受けていた当時の選手たちが、星野仙一氏を悪く言わないのは、それだけお互いに高い信頼関係にあったからです。
甘やかすのであれば指導者は不要になります。

まとめ

これは野球界だけでなく、仕事でも言えることです。
パワハラだと言われるのが嫌で何も言えない環境の企業が増えていますが、若い社員のためにならないことが多くあります。
厳しさがないと人は成長できませんし、自分が指導する側になった際にどうしたらいいか分からなくなってしまいます。

初心者が競馬を楽しむには?競馬セブンに聞いてみる

⒈競馬で勝つには?

ギャンブルは、娯楽として楽しむことが大切です。

ですが、いきなり始めようとしても知識がなければどのようにしていいのかわからずに、適当にやったとしても負けてしまうこともあるでしょう。

できれば、勝ちたいしかといってどうやって知識を得ればいいかわからないということでギャンブルを敬遠してしまう方もいます。

基本的に、ネットや雑誌などから情報を得ることは可能です。

その点から、情報収集などから始めるようにしましょう。

競馬などの場合には、新聞や雑誌、ネットなどから情報を得ることができます。

初心者の場合には、まず心構えは甘えを捨てることも重要です。

甘えとは、初心者だからという感覚を持つことだといえます。

これは、どのようなことでも同じことがいえますが、最初だからわからないし負けてもいいという気持ちや失敗してもいいなどと考えてしまうことです。

精神面なんてあまり関係ないと思いがちですが、心の動揺はギャンブルをする場合にはいろいろと大きな影響を与えることにもなるでしょう。

その点から、心構えはしっかりと、勝つことを目的とすることを重視していくことが大切です。

参考→競馬セブンの口コミ評判

 

⒉血統などもある程度チェックしておく

競馬では、馬の血統などもある程度把握しておくことでその馬の特徴などがわかりやすく、どのようなレース展開に強い馬なのかなどが判断しやすくなります。

その点から、情報収集をする場合には血統などもある程度チェックしておくといいでしょう。

競馬をやるなら、ビギナーズラック狙いという方もいます。

確かに、何の知識もない状態で勘で馬券を購入し当てる方も存在するのも事実です。

自分の誕生日や何かの記念日の数字などから適当に買って運よく勝ってしまうこともあるでしょう。

三連複や三連単などを少額で購入し勝ってしまうとそれなりに大きな金額の勝利となるケースもあります。

そのため、ビギナーズラックというのも魅力的と感じる方も少なからずいます。

しかし、長期的にギャンブルとして競馬を楽しみたいという場合には、たまたまの勝利などが何度も続くわけはありません。

よほどの強運がなければ、連続で勝てるというのはちょっと考えにくい点からもきちんと知識を得て自分でレース展開を予想していくやり方をすることが必要です。

 

⒊最初は少額で勝負をしていく

情報収集というのは、何事に対してもとても重要なポイントといえます。

ギャンブルにしても、雑誌やその他の媒体などからも情報を得ることができ、近年ではネットからもいろいろと情報をチェックできるため自分にとって有益となる情報をチェックしてみるといいでしょう。

初心者の場合には、怖いもの知らずでもあります。

そのため、大胆に賭けてみて手痛い失敗をしてしまう方もいます。

そのような状況を防ぐ意味でも、最初は少額で勝負をしていくというのもポイントの一つです。

ある程度知識を得た、情報収集もしたという場合でも、それで競馬を理解した気になるのは注意が必要といえます。

理由としては、ギャンブルというのは、シンプルそうにみえて奥が深いものです。

それなりに勝率がいい方なども、経験を積んでいる、情報収集なども常に行っているなどそれなりの年数をかけて研究してきている方が大半でしょう。

その点からも、初心者としては最初から大きな賭けに出るよりも少額で勝負を繰り返し、結果としてどうかなど自分なりにある程度研究する時間にしてみることが重要です。

 

⒋人からの情報も大切

ギャンブルで勝ちたいなら、人からの情報も大切です。

同じギャンブルをやっている仲間などを増やしてみて情報交換をしてみるというのも有効だといえるでしょう。

自分以外の人からの情報は、その人の経験に基づいた意見を得ることができるため貴重です。

自分でも、実際にやってみた感覚からの意見をしてみて、相手にも情報を与えることでお互い、複数の人数でもそれぞれが価値のある情報交換を積極的に行うことも大切だといえます。

ギャンブルを通じて、同じ趣味を持つ者同士の交流が深まれば、プライベートとしての付き合いに発展することにもなります。

休日などの時間つぶし目的でギャンブルを始めたという人なども、そこから人とのつながりができることで、休日は同じ趣味を持つ者同士で遊びに出かけてみるなど休日の過ごし方にも選択肢が増えることにもつながります。

競馬などを趣味とする場合でも、同じ趣味を持つ方達との交流のきっかけを掴んだら、そこから友人としてのつながりとなるように積極的にコミュニケーションをとっていくというのもいいでしょう。

ギャンブルは、何も一人だけで楽しむ必要はありません。

仲間を作る目的などで始めてみるというのも有効な手段です。

自身がどのような目的でギャンブルを始めたいのかという点をよく考えてみることも大切だといえます。

楽しみ方は人それぞれ違いますが、ギャンブルはあまり熱くなりすぎず適度に楽しむための娯楽です。

あまり難しく考えずに、楽しく遊ぶというスタンスもいいといえます。

本格的に稼ぎたいならば、情報収集やある程度の知識を深めてから挑みましょう。

中日ドラゴンズのユニークなエピソード

延長28回引き分け

プロ野球の歴史はかなり長いですが、それだけ長ければ面白いエピソードやびっくりするような話は出てくるものです。
中日ドラゴンズでもそれは同じことであり、面白い歴史があります。

1リーグ時代の1942年には延長28回引き分けという試合を経験しています。
今までの歴史を見ていくと、一定の試合時間に達すれば次のイニングには行かない、もしくは一定のイニングに達すればそこで引き分けというのがよくあるルールです。

しかしこの時は日没にならなければ引き分けにはならないというのがルールでした。
9回に追いつき、その後延長28回まで点が入らず引き分けで終わりました。

この時は15回までしか点数ボードがなかったために前の試合の試合結果のボードを代用するなどしました。
さらに驚愕する事実は、延長28回を両チームの投手が完投したこと、試合時間が短かったことです。

どちらも300球以上を投げ、試合時間は3時間47分でした。
現代のプロ野球では9イニング終わって4時間に達することもたまにありますが、いわば3試合分をこなして試合時間が4時間に達しないのは驚愕する事実です。

それだけ戦前のプロ野球は投手力がものを言っただけでなく、戦中に突入していき野球選手自身が戦地に行き、選手が少なかったという事実も関係しています。

星野仙一は厳しさの中にも愛がある

優勝パレードの強行エピソード

ユニークであり、考えさせられるエピソードとして優勝パレードの強行があります。
1974年、この年中日は巨人のV10を阻止し優勝を果たしました。
しかも20年ぶりの快挙ということもあり地元名古屋は大盛り上がりでした。

ところがそれと時を同じくして日本プロ野球界の大スターだった長嶋選手が引退を表明します。
本来であれば優勝パレードの前日に長嶋選手の引退試合が組まれており、しかもその相手は中日ドラゴンズでしたが雨で順延となります。
優勝パレードと長嶋選手の引退試合がバッティングしてしまい、その対処をどうするかでもめにもめます。

結果的に主力選手に優勝パレードを参加させる決断を球団が行い、長嶋選手の引退試合には若手選手と監督代行が臨むという状況になりました。
主力選手の多くはこのことを申し訳なく思ったのは言うまでもありません。

また同じようなことを今行えば当然大問題になります。
優勝パレードを日本シリーズを行う前にするケースも現在ではあまり見られないことです。

これはポストシーズンがあるなどの理由も考えられますが、まだペナントゲームが残っている中で優勝パレードを強行するケースはあまりありません。
ユニークではありますが考えさせられるというのはこのことです。

助っ人が日本に来るのを拒んで騒動になった事件

メジャーリーグの選手が日本に助っ人としてやってくるケースはよくありますが、この選手が日本に来るのを拒んで騒動になったことも当時は非常に有名でした。

2003年にメジャーで活躍をした選手を中日ドラゴンズが獲得しますが、この時相手のチームはウェーバー公示をかけることになります。
ウェーバー公示は支配権の放棄の手続きであり、日本への譲渡目的であれば獲得に名乗りを上げないのが紳士的なやり取りとしてありました。
ところがそれを破るチームが現れ、当人もそちらを希望したことで大問題に発展したのがこの事件の流れです。

中日ドラゴンズは獲得を諦め、別の選手の獲得に乗り出し結果としてその補強は成功しましたが、この契約はその後に大きな影響を残すだけでなく中日ドラゴンズの助っ人獲得の流れも変わりました。

メジャーリーグで活躍した選手を獲得するのではなく、プエルトリコやドミニカなどでスカウトした選手を連れてくる形に変わっていきます。
そのことで多くの選手が中日のユニフォームを着るだけでなく、助っ人外国人の働きを最大限に見せつけました。
ただ契約で揉めることも多く、別のチームに移籍していくことも珍しくありません。助っ人外国人を巡る物語はかなり濃く、辛酸をなめさせられた歴史でもあります。

今後もいろいろと注目したい中日ドラゴンズ

21世紀に入り多くの騒動がありましたが、その根底にあるものはルールを単に利用しただけというものです。
例えばクライマックスシリーズ前に選手全員の出場選手登録を抹消したのは、次の試合までに10日以上間隔が空き、その間にケガをしてしまえば再登録に時間がかかるからです。

結果的に出場選手登録の全員の抹消は制度化されるなど、ルールに一石を投じるきっかけにもなっています。

他にはアメリカ映画の題材に取り上げられたこともユニークなエピソードの1つです。
この時に出てくる選手は当然仮名でしたが、チーム名やメディアなどはほとんど実名であったことも特徴であり、興行収入も好調でした。

近年は様々な監督の影響もありネガティブなエピソードが多いですが、これまでには面白いエピソードや自慢をしたくなる話も数多くあります。
そして今後もこうしたエピソードが尽きることはないはずです。
できれば後世に語り継ぎたくなるようなエピソードを中日ドラゴンズには期待したいものです。

 

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