中日ドラゴンズのユニークなエピソード

最終更新日 2025年4月25日

延長28回引き分け

プロ野球の歴史はかなり長いですが、それだけ長ければ面白いエピソードやびっくりするような話は出てくるものです。
中日ドラゴンズでもそれは同じことであり、面白い歴史があります。

1リーグ時代の1942年には延長28回引き分けという試合を経験しています。
今までの歴史を見ていくと、一定の試合時間に達すれば次のイニングには行かない、もしくは一定のイニングに達すればそこで引き分けというのがよくあるルールです。

しかしこの時は日没にならなければ引き分けにはならないというのがルールでした。
9回に追いつき、その後延長28回まで点が入らず引き分けで終わりました。

この時は15回までしか点数ボードがなかったために前の試合の試合結果のボードを代用するなどしました。
さらに驚愕する事実は、延長28回を両チームの投手が完投したこと、試合時間が短かったことです。

どちらも300球以上を投げ、試合時間は3時間47分でした。
現代のプロ野球では9イニング終わって4時間に達することもたまにありますが、いわば3試合分をこなして試合時間が4時間に達しないのは驚愕する事実です。

それだけ戦前のプロ野球は投手力がものを言っただけでなく、戦中に突入していき野球選手自身が戦地に行き、選手が少なかったという事実も関係しています。

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優勝パレードの強行エピソード

ユニークであり、考えさせられるエピソードとして優勝パレードの強行があります。
1974年、この年中日は巨人のV10を阻止し優勝を果たしました。
しかも20年ぶりの快挙ということもあり地元名古屋は大盛り上がりでした。

ところがそれと時を同じくして日本プロ野球界の大スターだった長嶋選手が引退を表明します。
本来であれば優勝パレードの前日に長嶋選手の引退試合が組まれており、しかもその相手は中日ドラゴンズでしたが雨で順延となります。
優勝パレードと長嶋選手の引退試合がバッティングしてしまい、その対処をどうするかでもめにもめます。

結果的に主力選手に優勝パレードを参加させる決断を球団が行い、長嶋選手の引退試合には若手選手と監督代行が臨むという状況になりました。
主力選手の多くはこのことを申し訳なく思ったのは言うまでもありません。

また同じようなことを今行えば当然大問題になります。
優勝パレードを日本シリーズを行う前にするケースも現在ではあまり見られないことです。

これはポストシーズンがあるなどの理由も考えられますが、まだペナントゲームが残っている中で優勝パレードを強行するケースはあまりありません。
ユニークではありますが考えさせられるというのはこのことです。

助っ人が日本に来るのを拒んで騒動になった事件

メジャーリーグの選手が日本に助っ人としてやってくるケースはよくありますが、この選手が日本に来るのを拒んで騒動になったことも当時は非常に有名でした。

2003年にメジャーで活躍をした選手を中日ドラゴンズが獲得しますが、この時相手のチームはウェーバー公示をかけることになります。
ウェーバー公示は支配権の放棄の手続きであり、日本への譲渡目的であれば獲得に名乗りを上げないのが紳士的なやり取りとしてありました。
ところがそれを破るチームが現れ、当人もそちらを希望したことで大問題に発展したのがこの事件の流れです。

中日ドラゴンズは獲得を諦め、別の選手の獲得に乗り出し結果としてその補強は成功しましたが、この契約はその後に大きな影響を残すだけでなく中日ドラゴンズの助っ人獲得の流れも変わりました。

メジャーリーグで活躍した選手を獲得するのではなく、プエルトリコやドミニカなどでスカウトした選手を連れてくる形に変わっていきます。
そのことで多くの選手が中日のユニフォームを着るだけでなく、助っ人外国人の働きを最大限に見せつけました。
ただ契約で揉めることも多く、別のチームに移籍していくことも珍しくありません。助っ人外国人を巡る物語はかなり濃く、辛酸をなめさせられた歴史でもあります。

今後もいろいろと注目したい中日ドラゴンズ

21世紀に入り多くの騒動がありましたが、その根底にあるものはルールを単に利用しただけというものです。
例えばクライマックスシリーズ前に選手全員の出場選手登録を抹消したのは、次の試合までに10日以上間隔が空き、その間にケガをしてしまえば再登録に時間がかかるからです。

結果的に出場選手登録の全員の抹消は制度化されるなど、ルールに一石を投じるきっかけにもなっています。

他にはアメリカ映画の題材に取り上げられたこともユニークなエピソードの1つです。
この時に出てくる選手は当然仮名でしたが、チーム名やメディアなどはほとんど実名であったことも特徴であり、興行収入も好調でした。

近年は様々な監督の影響もありネガティブなエピソードが多いですが、これまでには面白いエピソードや自慢をしたくなる話も数多くあります。
そして今後もこうしたエピソードが尽きることはないはずです。
できれば後世に語り継ぎたくなるようなエピソードを中日ドラゴンズには期待したいものです。

 

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